先日公開した、「2015年春、岩手県陸前高田市 事業者インタビュー 復興の今」
(Youtubeにテキストリンク)」、ムービーでは一部しかご紹介できなかったので、このブログで、事業者の方々にお聞きした想いを、紹介していきたいと思います。
本日は、夢の樹バウムで有名な、おかし工房 木村屋の木村洋平さんです。
震災の時は、東京で音楽関係の仕事をしていました。
震災後、陸前高田に帰ろうとは思っていませんでした。帰ったとしても、状況が状況なので受け入れ体制も整っていないだろうし、地元のみんなに迷惑をかけるかもしれないと思って、「自分は東京で仕事をして、出来る事をがんばろう」と思っていました。
震災1年後ぐらいに、父が「事業を再開する」って言ったんですよ。その話を聞いたとき「仕事を手伝えるのは、家族しかいないだろう」って思いましたね。それで陸前高田に帰ろうと決めました。
僕は、陸前高田自体に、あまり興味がなかったんです。元々自分のやりたいことは音楽関係の仕事でしたし東京の方が情報量も多いので、そのまま東京に住もうと考えていました。ただ、こうやって東日本大震災が起きて、それをきっかけに地元に帰ってくると、生まれ育った町だから郷愁というか、そういうものも湧いてきて、「安心できる場所だなぁ」と感じるようになってきました。
また、陸前高田に帰ってきて「意外と景色のいい場所があるんだな」と改めて気が付きましたね。気仙川という大きな川が流れていて、その支流が紅葉の時期になると本当にきれいなんです。わざわざ京都に行かなくても「こんな所に、こんなにきれいな景色があるじゃないか」って思ったりします。ずっと住んでいたのに、震災をきっかけに改めて陸前高田の良さというか、四季を楽しめる場所が多いんだって気づかされましたね。
東日本大震災が、僕と同年代の若者やそれより若い子とかが戻ってくるきっかけになっていると思うんです。今の陸前高田は、そういう人たちが頑張っている感じが本当にします。
大それたことは個人だと難しいですけれども、結局自分たちが今やっていることの延長が、最終的に地元のアピールになったりとか、こっちから良さを発信できるようなきっかけになったりしていくのかなぁとか思います。
以前と全く同じ風景に戻ることは難しいです。毎月のように景色が変わっているので、今後どういう風になっていくか予想は出来ないんですが、どうにでも変更が出来る状況にあると思いますし、この町で働いている人たちも自分達で変えていこうって気持ちで頑張っている方々ばかりです。これからもっともっといい展開が出来るんじゃないかなぁと思っています。
来るたびに「景色が変わっているなぁ」って思うかも知れませんが、そういう景色の変化も楽しみの一つにしてもらえればなぁと思いますね。